
佐藤あいすです。
人の目が気になって仕方ない時期って誰にでもあると思います。
私は小学生から40代前半まで強弱はあれど気にしてましたね。
「悪く思われたくない」「変な人と思われたくない」つか素敵な人と思われたい、いい人と思われたい、いい奥さん、いいお嫁さん、いい友達、頭良いとも思われたい…などなどたくさん。
でも、気づいたんですよね。
他人って、私のことそんなに見てない。
見えてはいるけどそれは目に映ってるだけであって興味と関心を持って「見ている」ワケじゃないということに。
その証拠に上記のコトをほとんど言われたことことも無いし、思われてもいなさそうだってこと相手の態度から何となく察します。何かそういうのってわかりませんか?関心や興味を持たれてるかどうかとかって。
そして気づいたんですよね。
人の評価とかもその人の“その日の気分”くらいの軽さなんだなと。気まぐれ山の天気かよ
それ、あなたの感想ですよね?的な
そう思うと、
今まで自分がどれだけ、ロクに見られてもいない人の目ってのに振り回されてきたんだろ?って思いましたね。
■ なぜ急に「ほとんどどうでもよくなった」のか
私の場合は、いくつかの要素が重なりましたね。
もちろん見えてるけど見ているワケじゃないことに気づいたのもデカかったですが、他には…
・生活費が低い上に物理的にも誰かの手を借りないと生活が回らないとか無い、職場の人、義両親などの機嫌も取らずに支障無く生きられる、なので→同僚も店長も私の給料を一切操作できないんだから、顔色をうかがうとか一切しなくていいじゃんとはっきり気づく。
・資産が少しずつ増えて、精神的に余裕が出てきた→ダンナが仕事辞めたら困るけど年収100万未満のあたしが辞めても資産は減るどころか投資してるため資産は給料以上増えてくじゃんねと気づいた
・そもそも大人になった私は“ほとんど群れたがらないタイプ”になったというか群れないほうが気持ちよく生きていけると気づいた。
この辺りの事に気付いたとき、あれ?もっともっと私は素でいいんじゃないかしら?と思いましたね。
■ 他人軸をやめると、人生のほとんどがラクになる
人の目を気にしていると、
・好かれよう
・嫌われないようにしよう
・空気を読もう
・迷惑かけないように
って常に頭のどこかで無理しながら気にしてる。
でも、それをほとんどしなくなると人間関係の面倒くささとかうざさが消える。
・無理に仲良しごっこをしない→普通に自然体の雑談で充分な仕事仲間感が出る
・嫌いな人を無理に好きになろうとしない→キライなまま放置、トーンの低い挨拶と雑談ゼロ。永遠に私に嫌われているが良い。
・深く関わらない→こうしたら良いのに…と思っても好きな人間だけにしか言わない。だからほとんど言わないから関わらない。
★コレ大事
・あんまり期待を寄せられないから疲れない、つか期待を寄せられないようにする。
人間は「能力」だけを頼りにされるワケじゃなく「労力」を頼りにされることがある。その日だけの残業とか、人数のいる作業とか。
例えば自分の業務以外の役割を求められそうな雰囲気であってそれが出来ても、やりたくないならいい人ぶって、私やります!出来ます!何とかします!を空気的に言った方が良さそうでも、誰か志願しろよ的な空気になってても絶対自分からは言わない。だれも志願しないからと頼まれてもツライ、無理!と思ったら普通にちょい丁寧気味に、嘘も方便でお断り。断る時も必要以上にへりくだらない。ま、これぐらいはいいかと思えるのしか引き受けない。
そしてそんなものはほとんど無い。極々稀にある程度。たまーにその稀をやるといい人だ!になる。そのぐらいで良いです。あたしは。
だれも志願しなくても誰かはやります。だいたい無理させるような人員しか雇っていない方が悪い。無理してやらない方が悪いのでは無く、従業員に無理をかけるシステムの会社が悪い。ここを間違えちゃいけません。会社は一体何やってんの?!と怒るぐらいにならなくてはいけません。
で、このぐらいの方が不思議と色々うまくいく。
下に見られないからムカつくことも激減するし。
まずは自分がどう思うのか?したいのか?をいちばんに考えるクセをつける
相手はいちばんではありません。
■ 人の目には、最初から自分を幸せにする価値なんて無いんじゃいか?
「人にどう思われるか」を主役に生きると苦しい、つらいし家の中は以外が全部苦痛になる。
でも、自分が心地良いって方向を主役にすると、めちゃくちゃ気分はラクになるし、楽しくなるしイヤな出来事は遠のく。イヤな出来事が無いだけで人生は楽しくラクになりますからね。
今の私は、昔の私がしたかった気分のラクな生活ってのしていると思う。


